表紙に戻る


2023年4月1日更新

2023年04月01日 褌屋は創業25周年を迎えました。謹んで店主よりご挨拶申し上げます。

2022年12月16日 オーガニック生地について

2022年03月13日 褌屋は「日本ふんどし協会」協賛を辞退しました

2022年02月09日 褌販売24年が経ちました。

2021年10月01日 コロナ禍の材料不足のなかでのマスク販売!

2021年05月17日 褌は下着の一種です。 褌は締めるもの!

2008年10月16日 シルシルミシル出演後記。

2008年03月05日 褌屋10周年 ごあいさつ

2008年01月03日 紅白歌合戦には落選でした!?

2004年06月18日 他店で販売中の褌で御心配をおかけしたお客様へ。


2023年4月1日

褌屋は創業25周年を迎えました。謹んで店主よりご挨拶申し上げます。

皆様には常々お引き立てをいただき、心より御礼申し上げます。
お陰様で褌屋は25年にわたって営業を続けて参ることが出来ました。この25年間の思い出は、これまでの節目節目に書きました「店主のひとりごと」に記しましたので、重ねて書くことは致しませんが、只々感謝の念しかありません。

褌屋を支えてくれる従業の者も、創業以来変わっておりません。全員同様に25の齢を重ねました。
店主中田もすでに古稀を過ぎております。
皆様と一番近く接しております吉村も、変わることなく25年間、褌屋を支えてくれました。

私共褌屋は、Yahoo!ショッピングや楽天市場に代表されるような通販サイトに頼ることなく、自社ドメインのみで今日まで営業をしてきました。
「高品質な褌を当たり前の値段で」をモットーとして、カード決済が出来ない、コンビニ受け取りが出来ない等々のお叱りにもご理解を頂戴して参りました。

創業時は褌専門の通販サイトは恐らく褌屋だけであったと思われます。お祭り用品や、地方特産の木綿生地の通販サイトで売られているのは覚えております。
創業時は多くのメディアに取り上げられ、テレビ出演や大学の講演に招かれたりもしました。
このような取り上げられ方をしたためか、褌の通販サイトが多数出来ました。よほど褌の需要のパイが大きく見えたのでしょう。しかし、私共は当時ご高齢で、越中褌の入手にお困りの方々のご要望に答える事が、起業の発端でした。
ところが褌屋サイトを立ち上げたとたん、驚くほどの反響が、高齢者以外の方々からもありました。
片手間で始めた褌屋が、褌専門店「褌屋」に変わったきっかけでした。
以来今日まで、日本全国、海外にまでご愛用下さるお客様にご利用頂いております。

「褌」が大きくマスコミに取り上げられた事もありました。「褌の日」が作られたり、褌のファッションショーがあったり、私はずっと横目で見ておりました。いかに繕っても、褌は古い時代のダサい物なのです。
只、その機能性と清潔性を知ってくださる方が愛用してくださいます。
沖縄でサミットが開かれたとき、警備に当たる機動隊の隊員の方々から、またサマーワに派遣された自衛隊員の方々からもご注文を頂きました。ズボンを脱がずに下着を交換できる、とのことでした。北海道の陸上自衛隊勤務の方からは冬の勤務時にと、ネル生地の褌のご相談がありお作りしたこともありました。これこそ、褌の持つ特別な機能かもしれません。

このような経験から。褌屋は東日本大震災に代表されるような災害時に、越中褌を無償提供してまいりました。

六尺褌につきましても、多くの常用のお客様がいらっしゃいます。
長距離のトラックドライバーの方は、胃下垂を防いでくれるような気がする、と医学的にはどうかわかりませんが、ずっと六尺褌をご注文下さいます。
又、営業職の方は外回りで気分を引き締めたいときに、近くのトイレで六尺を締め直すと気分がリフレッシュするとも言ってくれました。

ともすれば偏見の目で見られがちであった褌が、少しは普通の下着の一種であると思われるようになったのでしたら、私共のささやかな功績かも知れません。

創業時よりお付き合いくださっているお客様や、折々のご様子をご注文メールにお書きくださる方、また直接お電話でお声を聞くことができる方々、お目にかかる事は出来ないまでも、ありがたいお繋がり、御縁に深く深く御礼申し上げます。
これからも体力のつづきます限り、愚直に単純に褌屋を続ける所存ですので、これからもお引き立て頂けますよう、お願い申し上げます

褌屋 中田光一


2022年12月16日

オーガニック生地について

お客様から、褌屋ではオーガニック生地の扱いは無いのか、とのお問い合わせが時々あります。
環境問題に関心を寄せられている方からのお問い合わせです。

褌屋では、晒生地を二社の卸元から仕入れております。
どちらも和晒専門業者です。

まず、晒生地についてご説明します。

綿糸の太め(20〜30番手)の糸で織り上げた生地を大量の水で晒したところから晒生地と呼ばれます。
織り上がった生地を大きな釜で30時間ほど煮沸します。
この段階を経ないことには、綿繊維の油分が抜けず、水をはじいてしまいます。
煮あがった生地を大量の水で洗い流します。ですから、晒生地の産地は大きな川の近くで発展しました。
和晒独特の柔らかさは、こうして産み出されるのです。
不純物や残留農薬等は完全に除去されています。

オーガニック協会という、農薬や化学肥料を使わない農法を推奨している団体があります。非常に環境意識の高いグループで、その活動は尊敬しております。

木綿栽培について、特にアフリカの途上国での農薬被害に警鐘を鳴らし、その問題の改善に尽力しているようです。
ただ、農薬や化学肥料を使用しないと、収穫量は確実に減ります。私が危惧しますのは、無農薬栽培で収穫した綿をそれに見あった代金で取引されているかどうかです。
従事労働者に、相応な賃金が支払われていることを願うばかりです。
むしろ、農薬の正しい使い方や、安全作業の周知を徹底するべきと思っています。

オーガニック繊維生地は、柔らかで肌触りが良いとよく言われますが、固い柔らかいの感触は綿布になってからの加工によるもので、無農薬だからソフトであるとの認識には疑問を持っています。

晒生地に使われる綿花は、主にアメリカからの輸入に頼っています。かつては中国からの輸入量が多かったのですが、人権問題や国際問題で輸入量が減少しているようです。新疆綿は、繊維が長く最高級と言われていたのに、現在では使用が憚られるようです。

先程も言いましたように、オーガニック繊維生地は素晴らしいもので、オーガニック協会でも、製品審査を厳しくしているようです。
ただ、これは使用者、販売社の意識の問題が大きく、褌屋では高価なオーガニック生地を使うことはいたしません。

最近では、晒織元業者が少なくなって来ています。
なんとか、世界に誇るべき和晒を残したいと願っております。

「さらし」「粗目晒し」「ナイスモス」「綿絽」「しらほね」「高島ちぢみ」いづれも当店の和晒製品です。
どうか褌屋の和晒製品をご愛用下さいますようお願いいたします。

褌屋代表 中田光一


2022年3月13日

褌屋は「日本ふんどし協会」の協賛を辞退しました。

理由は以下の通りです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本ふんどし協会 御中

有限会社 褌専門店 褌屋

愈々御清栄の段 お慶び申し上げます。

扨、先般来 貴協会ホームページ上に掲載されております、認定ブランドとしての当社の記載を外していただきたくお願い申し上げます。

理由
先日、貴協会会長中川氏の発言の中に、六尺褌を侮蔑するかの如き言葉がありました。以前にも、同様の記載を読んだ覚えがあります。
私共では、多種の褌を販売しており、六尺褌ご常用のお客様も大勢いらっしゃいます。
「ふんどし協会」と銘じ乍ら、越中褌と女性用もっこ褌しか認めないのは、協会活動が、中川氏運営の褌販売だけの為のものと考えられるからです。

以上、宜しく御願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は10年前に「ふんどし協会」代表の中川氏と会ったことがあります。
当時、私共「褌屋」は創業14年目でしたので、そこそこの知名度もありました。そういった経緯から、中川氏からのコンタクトでありました。

褌を再認識させたいと熱く語っていましたが、私の認識とは大きく乖離しているようでした。ただ、その情熱に反対するほどの違和感はなく、協賛に至りました。メールや電話を含め、この時を最後に一切の接触はありません。

その後も中川氏は精力的に有名人や芸能人、最近では有力ユーチューバーと接触し、マスコミ等にアピールしているようです。

この、積極な行動には敬服し、感心するところでもあります。
ただ、このように有名人や人気のお笑い芸人に褌を勧めることによって、ともすれば「褌」がキワ物扱いされたり、パーティーグッズの如く見られかねません。まさに両刃の刃になりかねません。中川氏のダブルスタンダードを疑わざるを得ません。

また、中川氏は「六尺褌」に拒否感、嫌悪感を大きく持っているようです。これまでも「お祭りの時のもの」「特別な人のもの」「ねじねじの褌」との記述や発言を記憶しております。

「越中褌」が、ゆるい着用感、いわゆるユルフンの魅力があるのに対し、「六尺褌」は緊張感の魅力とでも言いましょうか、締め付けによる気分の高揚が魅力であると思います。

ある営業職の方は、外回りで気分が落ち込んできたときに、トイレに駆け込んで六尺を閉め直すと、一気にやる気が戻って来るとか、まさに個人差はあるでしょうがこれこそが六尺褌の魅力でしょう。

また、長時間車の運転に携わる職業の方々に、六尺褌を常用してくださる人が多くいらっしゃいます。横みつで、腰がサポートされているような気がするとのことです。気分的な事かも知れませんがこのような声が多いのも事実です。

ジェンダーフリーが叫ばれている昨今に、あえて言いますが、「六尺褌」はゲイの人々の趣向のものといったような色眼鏡で見るべきではありません。実際に普段の下着として使われております。

男性用下着にも、サルマタ、デカパン、ブリーフ、ビキニ、等々、様々な種類があり、個人の好みで選ばれております。褌も、男性用下着の一種であって、越中、六尺、クロネコ、もっこ、等々、個人の好みで選ばれて何ら問題はありません。

中川氏の「褌」販売については勿論、何ら申し上げることはありません。ただ、「一般社団法人ふんどし協会」として、ふんどしの誤解を広めかねない言動には苦言を呈したく思います。

褌屋代表 中田光一


2022年2月9日

褌販売24年が経ちました!

褌屋店主 中田よりご挨拶申し上げます。

皆様にはいつも褌屋をご愛顧下さり、ありがたく御礼申し上げます。
おかげさまで褌屋は24周年を迎える事が出来ました。
私自身も、よく24年間も褌専門店を運営してこられたものだと思っております。
ありがたいことに、創業当初からご利用くださっているお客様が大勢様いらっしゃいます。又、ご自分のお好みの寸法仕様でご注文下さる方も多くいらっしゃいます。
常にお客様に支えれておりますこと、嬉しく感謝申し上げます。

24年前、褌屋がネット通販を始めますと、すぐ同時期に褌のネット販売業者が多く現れました。しかし、現在20年以上に渡って営業を続けているのは、あえて、店名を出しますが、私共の他は「九州屋」さんと「たぬき堂」さんくらいでしょうか。簡単そうにみえる褌の製造販売が結構難しいものである証査かもしれません。

私共「褌屋」は常に和晒生地にこだわってきました。いずれ改めて書きたいと思いますが、日本古来の晒木綿は世界に誇るべき生地と思っております。
「九州屋」さんは新しい形の褌を考案されたり、販売方法を工夫されたり、見習うべきところを多くお持ちです。
「たぬき堂」さんは、季節や行事にちなんだ褌を常に販売されています。細やかな心配りは私共に一番劣っているところかもしれません。

それぞれの店舗が、20年以上営業を続け、面映ゆい言い方ですが「褌文化」を守り続けて来ました。

かつて「褌ブーム」などと言われる時期がありました。
面白いことに、5年に一度くらい「褌ブーム」なる言葉がマスコミに出て来ますが、これは無理やり作られた「ブーム」であって、その証拠にすぐに消えてしまいます。
越中褌も六尺褌も、その他の褌も単に下着の一つでしかありません。
下着として褌を好まれる方々が、ご自分に合った店を選び、ご自分の好みの褌を選んで下さることによって、私共褌販売店は今後も営業を続けられると信じております。

どうかこれからも褌をご愛用くださいますよう、お願い申し上げます。

褌屋代表 中田光一


2021年10月1日

コロナ禍の材料不足のなかでのマスク販売!

新型コロナ対策の緊急事態宣言もようやく解除されました。なんとか、収束に向かってほしいものです。

昨年の春先から、当店もコロナ騒動に翻弄されてきました。全国からマスクと消毒用アルコールが姿を消し、小さな子供を連れた母親の姿は悲壮感さえ伝わってきました。

従業の者の言葉で、幸い「褌屋」には晒し生地もガーゼ生地もある、これでマスクを作って見ては、と言うものでした。この際、利益は度外視しようとも考えました。
晒しとガーゼで4重構造で、3枚1000円で販売しました。
手作りの手間賃だけでギリギリの価格設定でした。

販売を開始した途端、ものすごい反響でした。ほとんどが女性からのご注文で「褌屋」にはご縁の無かったお客様層です。それには悲痛とも言える言葉が添えられていました。同時にありがたい感謝の言葉も多く頂戴しました。

又、介護施設や診療所からの注文もあり、いかに事態が深刻か思い知りました。

勿論、本業の褌を販売しながらですから、大変な状態になっていましたが、人様から感謝される喜びだけで頑張ることが出来ました。

有りがたいことに、長い付き合いの生地問屋からは、晒し生地を常に納入してもらいましたが、遂にガーゼ晒しが問屋の倉庫からも姿を消しました。
問屋の在庫が尽きかける前に、その社長から、ありたけのガーゼ生地を送ると言われたときは、細々と地味ながらも真面目にやってきて良かったとつくづく思いました。

只、マスクゴムには苦労しました。業務用のマスクゴムは一巻き2000円程度で販売されていたものが10000円以上に高騰しました。足元を見る商売とはこんなものかとも思いました。

大混乱の中でもようやく一筋の光が見えかけました。

----------------------------------------------------------------

私事ですが、ご存知の方も多いと思いますが、私は茶道教諭の仕事も持っております。

只今は東京と茨城県水戸市で教室を開いております。かつては各地に教室を持ったのですが、年齢を考えて仕事量を押さえています。

特に水戸市では毎月、月釜茶会という本格的な茶会を開催してきました。27年間で、東日本大震災の時の2ヶ月以外は、一度も休むことなく、地元の方々のご支持を得てきたのですが、昨年の2月以来ずっと休会が続いて居りました。

本日、地元の有志の方々から、1日も早い再開をとのお申し出を頂きました。半分は、諦めかけていた水戸市での仕事が再開される目処が立ったようで、急に元気が出てきました。

長いトンネルの先に明るい光が見えて来ました。私事で失礼しました。

 


2021年5月17日

褌は下着の一種です。

褌屋に最近このようなご質問が数通寄せられております。

・褌は「うつ病」の改善に役立つと聞きましたが本当ですか?
・褌にすると免疫力が増すと聞きましたが本当ですか?
・褌にすると熟睡できると聞きましたが本当ですか?

どこからの情報かわかりませんが、お答えは「わかりません」としか申し上げられません。

もし褌を締めただけで「うつ病」が改善するなら、多くの人々を救えているはずです。

また、褌に変えただけで免疫力が増すのであれば、コロナウイルスやインフルエンザも恐れる事はないでしょう。

多くの医師が証明しているらしいとの事ですが、そのような事は聞いた事もありません。一人か二人の医師が効果があるかもしれないと言ったところで何の証明にもなりません。それどころか法律に抵触するのではないでしょうか。

越中褌にかえた知人は毎朝前垂がシワになって熟睡できなかったとも言われました。

結論として褌はブリーフやビキニやトランクスと同じように下着の一種にすぎません。

褌で病気が治るなら、こんなありがたいことはないはずですが、変に医学的な効果など言い出しますと、何やら怪しげに見られる事を心配致します。


 

2008年10月16日

No.4 褌は締めるもの! シルシルミシル出演後記。

テレビ朝日の「シルシルミシル」で褌の特集が放映されました。
放送直後から、お客様より多くのメールをいただきました.

これまで「褌屋」は多くのマスコミに取り上げられてきました。テレビ出演や、最近特に増えてきたエコに関する講演会に招かれるなど、自身考えもしなかったような仕事を与えられて居ります。

私は「褌」が決して過去の遺物ではなく、機能的で清潔で極めて快適な肌着である事を言い続けて来ました.
また「褌」が老人の物、国粋主義者やゲイの人たちの使うもので、もっと酷く言えば変態性欲者の使うものとまで言われた事もありました。私は,なんとかその、まちがったイメージを払拭したいと言い続け、書き続けてきました。

テレビ出演など、出演料はほとんど出ないか、頂けたとしても驚く程の低額です。それでも、褌の良さを広められるならばと時間を割いて,喜んで出演させて頂いてきました。

今回のテレビ朝日の番組では、出演依頼のあったときからもう番組の流れが出来上がってしまっていました.私にはモデルに褌の締め方の指導と、締めやすい褌、締めにくい褌について語ってほしいとのことでした。
褌の締め方をきちんとまじめに紹介されるならばと出演を承諾しました。

今まで「褌」を見た事も無いと言う若い俳優さんに六尺褌が自分で締められるようにご指導しました。ただ,締められるだけでなく、テレビカメラの前でかっこ良く男らしく締められるまでご指導しました.

4時間の時間を費やし、どうにかあの俳優さんの褌を締める画面を撮り終えました。
私のインタビューに関しては,ほとんど使われませんでしたが、あんなもんであろうと納得しています。

ただ残念なのが、番組の流れで,最終的に「褌」が「お笑い」で終わってしまった事です.やっぱり「褌」は変態的だ、の印象を与えるような終わり方であったのが何とも残念です.

また、褌を愛好していると言う女優さんも、ネット販売の褌で大儲けしたと言った人も、「褌」を履くと発言されていました。褌は履く物ではなく.あくまでも「締める」ものです。些細な事ですがすごく気になりました。

それでも「褌王子」の俳優さんは器用に締め方を覚えてくれました.今後の大成を願っています。


2008年3月5日

No.3 褌屋10周年 ごあいさつ

褌屋はネット上で通信販売を初めて10周年を迎えました。

この10年をふりかえりますと様々な事が思い出されます。開設当初は私自身もこれほど多くの人が褌を愛好しているとは知りませんでしたし、今となっては不遜ではありますが、まさに片手間にできればと考えておりました。

しかし、いざ「褌屋」を開設してみますと、おおくのお客様から褌制作に関するご要望を頂きました。皆様が市販の褌に不満をお持ちの事も知りました.
その一つ一つが今日の褌屋の大きな財産となっております。

10年のあいだには多くの出会いがありました。

『褌ものがたり」をはじめとする著作で知られる、越中文俊さんからは全国に伝わる褌の逸話や伝説を教えて頂きました。先年の「ふんどしブーム」とやらの先鞭をつけたのも、この人かもしれません。時折おめにかかり、酒を酌み交わすのが楽しみです.

名古屋大学医学部の吉川羊子先生は泌尿器科を専門に研究なさっておられますが、同時に老人の介護医療にも携わっておられます。吉川先生は老人介護の専門家としての立場から褌を取り上げてくれました。私に公開講座の場で講演の機会を与えてくださり、医療や介護に携わっておられる方々に、褌と晒木綿の話をさせて頂きました。

おそらく公の場で褌が褌が取り上げられた最初ではないかと思います。

ロシア文学の翻訳家として知られる米原万里さんは女性の立場から褌を応援して下さいました.「パンツの面目ふんどしの沽券」(筑摩書房刊)には興味深いヨーロッパでの体験談などが載せられています。ある方を介してお電話を頂き、褌のお話をさせて頂きましたが、電話の向こうにおられるのが女性である事を忘れさせる程、気さくにストレートな話ができました。黒猫褌について、いろいろお尋ねがありました。

残念な事に一昨年急逝されました。私が上京の際、お目にかかる約束をしながら果たせなかったのがなんとも残念です.

個々のお客様にも、思い出の深い方がいらしゃいます。

開設当初、まさに大人買いで応援して下さった方。
九州の奥からひらがなばかりのお手紙で注文をくださった92歳のおじいさん。
イラクに派遣されるにあたって私どもの褌を持っていってくれた自衛隊隊員の方々.
中国の奥地でプラント建設に携わっておられる技術者のお客様。あの頃は中国も郵便事情が悪く、お手元に商品が無事に届くかどうか、送り手も受け取る側もはらはらしていました。

少し、自慢話になりますが、おおくの有名人や著名人のお客様にもかわいがって頂きました、
日本を代表するプロ野球選手は、「緊張する試合が終わったあとは、越中褌一枚でビールを飲むのが最高のリラックス」と言ってくれました。

高名な日本画家は奥様から細かい注文があり、政務に忙しい代議士のお客様からは秘書の方を通してのご注文があります。

まさに褌は老若や職業を問わず愛好家がいる事がわかります。

褌の制作にあたっても思い出があります。

すでに「褌屋店主のひとりごと1」で書きましたが今となっては楽しかった事のみ思いおこされます。

ただ、残念なのが「黒猫褌」を当店でお求めになった方から、黒猫褌はこんな形ではないといったクレームを頂いた事があります。よく伺ってみると、そのお客様は。いわゆるポルノショップで売られているような局部を覆うだけのような褌を「黒猫褌」と思っていたようでした。

「黒猫褌」は前にも書きましたように日本全体がまだ貧しかった時代に水着として作られた物で、私が古い実物を参考にしながら復活させた物です。この復活にあたっても50代以上の当時をご存知のお客様から「なつかしい」との言葉を頂きました。

ポルノショップで販売されているような趣味的な褌は決して「黒猫褌」ではありません。
このような誤解も「黒猫褌」の名称が復活したればこそ起きた誤解であるかも知れません。

また、褌屋をはじめた10年前、越中褌と六尺褌はすでに市販されていたと思いますが、もっこ褌は何度も作り直して、試行錯誤の上出来上がった、褌屋オリジナルです。そして黒猫褌は、ひとりごと1に書いている通り、見本や資料などなにもなかったところに、お客様から半世紀前の当時の実物をお借りでき、試行錯誤の上、製品化できたものです。まったくの当時の形のままです。

六越褌(割褌)は越中文俊さんとの対談で生まれたもので、わたくしはこの褌こそが褌最古の形をとどめているものと思っております。この褌はもともと割褌と呼ばれるものですが、越中文俊さんが六越褌はどうでしょうとのご提案をうけ、当店では六越褌と呼んでおります。
この3点の褌は、褌屋オリジナルであり、はじめて褌屋により商品化されたものであります。店主中田はこれらの褌の復活に褌文化を再起させた自負をもっております。

あっという間の10年でした。途中量産を試みた事もありましたが、結局手作りに勝る物は無いとの結論に至りました.直営店での販売も試みましたがネット販売こそが当店の原点であると思いました.

今後とも「褌屋」をお引き立てくださいますよう心よりお願い申し上げます。



2008年1月3日

No.2 紅白歌合戦には落選でした!?

新年明けましておめでとうございます。
本年も「褌屋」をお引き立てくださいますようお願い致します。


昨年は有難い事に「褌屋」がマスコミに多く取り上げられました。
これまでもNHKをはじめ、いろいろなテレビ局からの取材依頼があったのですが、いずれも褌を興味本位でとらえているとしか思われない内容でしたので、心ならずもお断りをしてきました。


関西テレビ「フジヤマ☆スタア」の依頼では、バラエティー番組ではあるものの一つのテーマを深く探りたいという番組の姿勢に、これならば褌を再認識してもらえるチャンスでもあると思い出演を了解しました。しかし30分間出ずっぱりという事に不安もありました。
普段、テレビでしかみた事のないタレントの皆さんの素顔にも触れましたが、素人の私をうまく引き立ててくれました。30分の番組を作るための作業の大変さも知りました。放映されたインタビューは実際収録された内のほんの一部でしたが、非常にうまく編集されていました。
テレビ番組をご覧頂いたお客様から、その都度感想をお寄せいただき有難くお礼申します。

また、これは結果的に実現しなかったのですが、年末の「NHK紅白歌合戦」の司会者であった笑福亭鶴瓶さんの褌衣装をおさめさせて頂いておりました。
納期の余裕もなく、デザインや生地の制約もあって難しいご注文でしたが喜んで作らせて頂きました。
紐の部分を紅白の撚り綱として、広幅の越中褌を赤と白の二枚を作っておさめていましたが、ご注文頂いたテレビ局側からも実際着用するかどうかは当日までわからないと言われており、期待は半々でしたがやはり着用は無理なようでした。
褌一枚の着用に要する時間まで問い合わせがあって、紅白歌合戦の舞台裏が細かく秒単位でつくられている様子をうかがう事ができました。
しかし、紅白歌合戦の始まる直前のNHKでの記者会見では、笑福亭鶴瓶さんがこの褌を着用してくれていました。
また、一月三日の「きらきらアフロ」では全編を通して鶴瓶さんがこの褌姿で出演していて、本当に嬉しく思いました。


今年も皆様にご満足いただける品物をお届けできますよう精進したく思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。


2004年6月18日

No.1-他店で販売中の褌で御心配をおかけしたお客様へ。

昨日、多くのお客さまからメールや直接の電話をもらった。
内容は、当店と同じようにネット上で褌の販売をしている業者が、褌屋オリジナルの「六越褌」と「黒猫褌」そっくりの商品を販売しているとのことであった。
いずれも、当店を心配した上でのことである。
この業者とは直接電話で話したことも有り、同業ということもあって決して私は悪感情を抱いてはいない。
結論から言おう。
自由経済の世の中にあって、同業者が他社の商品を真似たり、参考にすることは至極当然であり、なんら当店からクレームをつけるべきではないと考える。

ただ、私自身、忸怩たる思いがないわけでもない。

古くからのお客さまは開設当初の「褌屋」の姿を記憶されているに違いない。
商品のアイテム数もわずかで、まさか今日の様に年間2万枚近くも生産し、海外にまで顧客が及ぶとは考えてもいなかった。
開設当初は私の頭の中は「褌」のことで一杯だった。生地をさがしまわったり、既製品を買い集めたりして参考とした。
ある日、京都寺町の古本屋の店先で明治時代の錦絵を見た。「芝居楽屋の図」と題された錦絵の中の役者が身につけている物こそまぎれもない「もっこ褌」であった。それまで「もっこ褌」の名称は知っていても、現物は見たこともなかったし、図書館に通いつめてもどんなものかわからなかった。試行錯誤をくりかえしながら、今販売している形におちついた。単に前袋のところを二重にすればいいだろと考えてつくって着用した所、ズボンの中では縄状になってしまって使い物にならなかったのを覚えている。

「六越褌」は特に思い出が深い。
越中文俊さんとの対談の中でこれはうまれた。
私が「割褌」をつくる予定があると話した時に「六越褌」はどうかと越中文俊さんが名前をつけてくれた。
このとき越中文俊さんは「商標登録」しても良いですよ、と言ってくださった。
わたしは、いずれ「六越褌」が褌のスタンダードアイテムになれば良いと考え、このありがたい申し出を遠慮した。
[六越褌]の製作も手探りではじまった。有り難いことに高知県のお客様から、高知県立博物館におさめられている古い「割褌」の情報がよせられた。真偽のほどは定かではないが徳川家康が所用したと伝えられる「割褌」も見た。完成した時、越中文俊さんが大変喜んでくれたのが昨日の事の様に鮮明に記憶に有る。

「黒猫褌」はあるお客様からの要望で作った。
私自身も子供の頃着用した記憶はあったが、製作しようとは思いもしなかったし、販売しても売れるとは考えられなかった。
お客様は「たんすの隅にしまってあったものです」と半世紀ちかくも昔の「黒猫褌」を送ってくれた。
粗末な麻の生地でつくられた「黒猫褌」は貧しかった戦後の日本を語っているようで、懐かしくもかなしさもあった。
同様の麻をさがしまわった。「今時分、こんな麻を織っているところはない」の返事とともに、「なつかしいなあ」の言葉もかえってきた。
こんなめんどうくさいものをわざわざ売らなくても、、と従業の者は口を揃えたが、わたしは意地でも商品化したかった。

思い出すだけでもいろいろとあった。
しかし、いつもお客様にささえられた。

今回の同業者の商品について、先に言った通りなんらクレームを言うつもりもない。
ただ、、寸法等におよぶまで あまりに似た形のものを作るならば、わたしのこれまでの褌の製作にこめた情熱を踏みにじられたような気がしなくはない。

要は、業者の品格の問題である。


表紙に戻る

お問い合わせは電子メール
order@fundoshiya.comまでどうぞ
お待ちしております。

Copyright (C) 2008Fundoshi-Ya